昭和の形見?戦災記念塔と内山岩太郎のモニュメント。

 たった23年前までは昭和だったって事が、皆さんはお忘れになられていらっしゃる様子ですね。事故を起こしている原子力発電機1号炉(1971年)が嫁動したのも昭和40年代ですね。そして66年前には、日本が敗戦を迎えていたのです。そんな波乱・躍動の昭和の事を、少しだけ振り返ると見えてくるモノがありますよ。
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 身直に存在する歴史として、三ツ沢公園の片隅に聳えている昭和20年と大きく表示されている戦災記念塔は、東京のように毎年慰霊祭が行われている様子もなくサッカーが行われる日は駐車場として広場が使われています。また、神奈川県知事(昭和72年)として5期20年間も在任した内山岩太郎は、高島台町の私学会館の前庭に巨大な銅像として東を向いて立っています。彼は戦後いち早く文化活動の復興に尽力し、中でも昭和76年には神奈川県立近代美術館(坂倉準三設計)※鎌倉市、そして79年には神奈川県立図書館・音楽堂(前川國男設計)※西区 などの歴史に残る著名な建築物の開館を実現させました。そして最初の県の水瓶となった相模湖の名ずけ親でもあります。
 快晴の休日となった4日のお散歩コースとして、ぐるっと歩きました。黄砂なのか花粉なのか目がしょぼついた午後でした。