「あじさい」の季節には「蛍」も。

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 松岡正剛「藤原定家」の解釈
能の『定家』には定家が登場していない。それなのに、この曲では定家のイメージが能舞台に響きわたっている。『定家』は、定家の恋情に懊悩する式子内親王の亡霊の物語なのである。中世の芸能者たちは式子内親王を定家の恋人と見て、この曲をつくった。たしかに定家と式子内親王は出会っている。定家20歳のとき、父の俊成に連れられて式子内親王の御所を訪れた。俊成は親王に敷島の道を教えていたとおもわれる。このとき親王は定家よりも10歳ほど年上だった。これをきっかけに、はたして定家が親王を見染めたかどうかはわからない。親王と定家の歌にはいくばくもの共感がひそんでいることから推して、むしろ二人は「歌の恋」をこそ微かにたのしんだのだろう。歌こそ恋であるという、そういう時代でもあった。
それにしても、能の一曲に定家がいなくて定家の一曲であるとは、これはいかにも定家らしい話であるとぼくには思われる。そこにいてそこにいない定家、そこにいなくてそこにいる定家――。定家にはそういうところがある。

※写真の「あじさい」と定家の話は関係がありません。
by citystone | 2011-06-19 16:40 | flower