「響橋」昭和の初期にもこんな大規模工事が。

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 国道1号線は、どの辺の道を指すのでしょうか。例年の箱根駅伝で選手たちが走る道がそのように思っていられる方々が多いのではないでしょうか。しかし、国道1号線は、日本橋を起点としているのは間違いではありませんが。実際は品川駅前から五反田方面に向かい、五反田からは昭和16年に開通した第二京浜国道に入ります。その先は横浜市の青木橋交差点から、青木橋を経て栄町交差点で、第一京浜国道と合流して国道1号線になります。従って、品川から八つ山橋を渡り第一京浜に入る国道は国道15号線になります。つまり、旧東海道をなぞって造られた国道1号線は、昭和16年に第二京浜へと変わっていたのです。(※第三京浜は昭和39年に開通した自動車専用道路。)
 この第二京浜国道は、昭和15年に開催される予定だった幻の東京オリンピックのマラソンコースとして作られたそうです。しかも、「響橋」(ひびきばし)がマラソンの折り返し点として計画されていたので、ランドマークとしての役割を持つような立派な橋にするように建設されました。(※戦後昭和39年に開催された東京オリンピックでは、甲州街道の府中市が折り返し点として使われ、優勝者はハダシのランナー、アベベ・ビキラさんが、3位には故人となられた円谷幸吉さんがメダルを獲得され、感動を呼びました。)
 当時、この橋のかかる場所は寺尾の山になっていて、ちょうど鶴見川と入江川の分水嶺になっている尾根を形成。この分水嶺の尾根に沿って、JR鶴見駅から綱島方面に通じる鶴見獅子ヶ谷線の道路が東西に走っていました。そこで、この尾根を掘って、巨大な切り通し道路を作ろうということになり。そして尾根に走っている道路には橋を造って通すことにしたようです。
 オリンピックは日中戦争の影響で昭和13年に中止と決まりましたが、既に建設が進んでいた道路の方は昭和16年に第2京浜国道として品川と青木橋の間に完成し、橋も同時に竣工しました。正式には「響橋」と呼ばれますが、近所の人はメガネに似ていることからメガネ橋と呼ぶとか。建設前は寺尾橋と称していたが「響橋」の名は、橋下を通行するとコンクリート製のアーチのスリットに音が反響することから名づけられたそうです。風の強い日などに、どんな音が聞こえるのか聴いて見たいですね。横浜市認定歴史的建造物と認定されており、神奈川県の代表的な橋100選にも選ばれています。

橋の仕様/構造形式・鉄筋コンクリート製アーチ橋 アーチ高・約13メートル 橋長・48メートル 設計者・今井兼次、内務省横浜土木出張所新京浜国道事務所 施工者・不明 竣工・1941年(昭和16年)
by citystone | 2011-08-18 08:55 | memory