カテゴリ:言葉ことば( 43 )

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みなさんが見上げた青空に、こんなかわいい雲が浮かんでいるといいな。「3.11」

※この雲の写真は私のブログのロゴ画像に使っていますが、7年前にこの場所に引っ越して来た時、見上げた空に浮かんでいました。「Welcome Cloud」かなとその時に感じました。
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 たちあがれ日本の代表は、都知事を党首とする新党について「知事は、予算などで都議会が開かれているので、3月までに新党をつくるのは現実、考えられない問題だ」と述べ、当初目指していた3月中の結成を断念する考えを示した。ただ、「謀は密なるものを旨とすることだ。作業は深く静かに潜行してやっていかなければならない」とも述べました。

高齢者について=高村 薫(作家)
第一に、高齢者はどんなにかくしゃくとして見えても、判断力や決断力の衰えがある。第二に高齢者には知恵もあるが、それ以上に物忘れや思考力の低下がある。第三に、高齢者は新しい発想ができない。第四に、人は歳とともに間違いなく自制が利かなくなるので、若い人は振り回されてはならない。(平成雑記帳より抜粋)
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 根岸森林公園に残されている、元競馬場のスタンドは、米軍施設エリアから返還されてから数年を経過していますが、解体もされずに廃墟と化して無惨な姿を曝しています。昨年の地震(5強?)では特段の破壊はなかったようですが、何分立ち入り禁止になっているので詳細は発表されていません。しかし、拘束されてしまった3巨人の姿からは、三位一体改革などお題目だけになっている、日本の現状そのものを体現しています。
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 フェンスの眞直のバスケのゴールだけは、何故か新設されています。(スラムダンク…?)

※三位一体改革とは
(1)国から地方への補助負担金などを削減する
(2)地方交付税(国税のうち、地方に格差是正のため配分される税金)を抑制する
(3)(1)・(2)だけだと地方の収入が減少してしまうので、国税を地方税に移すという「税源移譲」を行う。

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 空高く聳える梢に咲いている梅の花、観梅に似つかわしくないシーンですよね。観梅といえば目線のすぐ先に可愛らしい花が咲いていて、雅な甘い香りがあたりに立ちこめるのが、普通の観梅シーンですが、今年は異常寒波に襲われて、細身の梅は、未だ開花の時期を知らないかのようです。
 幹まわりが4〜50センチの大きな梅の木は、早生の種なのでしょうか、他を圧倒して空高く花を咲かせています。しかし残念ながら、あのかぐわしい香りがぜんぜんありません。専門の梅林ではありませんから、養生、選定が上手く出来ていないのでしょうか?ま、都会の中のオアシスと考えれば、充分すぎる環境整備と言えるでしょう。
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 作詞家のたきのえいじさんの言葉、「この曲は‘95年の阪神淡路大震災のエイドソングとして作ったもので、5人の女性歌手と、レコード会社・各社の協力で完成しました、 音楽の力を改めて感じた一曲です」。この歌は、人と人へのメッセージがやさしく感じられる、絆の名曲と言えますね。
 また、3.11の際には「故郷」(ふるさと)の歌曲があらゆるメディアで頻繁に聞かれました。阪神淡路の震災は都市部の破壊が多く、家屋の倒壊・焼失がほとんどでしたが、東北・関東大災害では、津波と原発災害が重なり、海嘯からの自然災害が大きくなりました。消滅してしまった街区が大きな影響を与えたので、故郷を失ってしまった方々のために、この歌声が各地から聞こえたのでしょうか。
 それにしても、このように災害以後に誕生して、人々が進んでくちずさんだりする歌曲が、必然的に沸き上がるという、日本人の同胞への心情が素晴らしいと思います。
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 3.11大震災後に、あの大戦からの復興・復旧にたとえて、当時の、先人に学ぶとかの文言が、情報を賑はせましたが、結局の所、当たり前ですが、そこから何も学ぶべき物は得られなかった様子です。大震災後に設置された東日本大震災復興構想会議の委員に選任された玄侑宗久さんは、ご自分が災害の中心に在ること、福島在住の文学作家であることなどから、まさに800余年前の先人である鴨長明の「方丈記」を手にした瞬間に、この書物こそが、日本人の心の拠り所になり、さまざまな方向性を導くものであろうと、「方丈記」の解説と解釈として、この「無常という力」を上梓されたようです。
 西暦1177年〜1185年の僅かな期間に起こった日本国の大災害は、最後に大地震で終わるのですが、現代の日本にも当てはまる事象だったように思えます。大火災や飢饉こそ異なりますが、金融経済危機は現代の飢饉そのものです。また、伝搬するウイルスによる生命の危険は、毎年繰り返されています。さらに、自然災害は未来を問わず同様の破壊と破損を我が国にもたらしています。日本の各自治体のリーダーは、この本を手にされて心の在り方を学び、住民を指導される事を望みます。

安元の火災
安元3年4月28日(1177年5月27日)舞人の宿屋の火の不始末が原因で出火した。火はまたたく間に都の西北に向かって燃え広がり、朱雀門・大極殿・大学寮・民部省などが一夜のうちに灰燼に帰した。公卿の邸宅だけでも16軒、一般家屋に至っては都の3分の1が焼失した。死者は平家物語の記述では数百人であった。

治承の竜巻
治承4年(1180年)4月、中御門大路と東京極大路の交差点付近で大きな竜巻が発生した。風の通ったあとには、ぺしゃんこに潰れたり、桁や柱だけになった家が残された。竜巻は市街地を南南西に向かって走り抜け、現在の東本願寺の手前辺りで消滅したものと思われる。

養和の飢饉
養和年間(1181-82年)2年間にわたって飢饉があり、多くの死者が出た。大風、洪水が続いて作物が実らず、諸物価は高騰し、さらに翌年には疫病が人々を襲った。仁和寺の隆暁法印が無数の餓死者が出たことを悲しみ、行き交うごとに死者の額に「阿」の字を書いて結縁し、その数を数えたところ、養和2年4月・5月の左京だけで、42,300人余に達したという。

元暦の地震
元暦2年7月9日(1185年8月6日)、大きな地震が都を襲った。山は崩れて河を埋め、海は傾き陸地をひたせり、土は裂けて水湧き出で、岩は谷底に転げ落ちた。余震は3か月にもわたって続いたという。「恐れの中に恐るべかりけるは、只地震なりけりとこそ覚え侍りしか」と長命は溜息まじりに呟きます。

玄侑 宗久(げんゆう そうきゅう、1956年4月28日 - )は日本の小説家(2001年「中陰の花」で第125回芥川賞を受賞)。臨済宗の僧侶。東日本大震災復興構想会議委員。

※「無常という力」玄侑宗久 新潮社刊 1100円(税別)
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 しょっちゅう物忘れをしてしまう自分に、いらだつ時がありますが、この日の「ほぼ日」には、ちょっと安心?できる言葉「自己肯定力」がテーマになっていたのでお借りします。
 この言葉と「老人力」をプラスにして、ブログなどの推進力にして行けたらいいねと、感じました。そういえば、このブログページの右下に「いいね」のアイコンが付いていますが、誰が付けてくれているのかな?

ほぼ日刊イトイ新聞
http://www.1101.com/home.html
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 横浜三景園の、南門前にある蓮池は、今冬の最低気温を記録した今日は、池の半分位いが凍結してカルガモ家族は、雪掻きならぬ氷掻き?に追われていました。
 この異常な低温と豪雪に見舞われた日本各地は、冷凍庫状態に陥っているかのようです。また、温室効果ガスの影響ではないか、と判断されているこの異常気象は、北半球の各国に難問を突きつけて、経済的な難題をさらに難解にしているようです。
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 武器輸出3原則は、原則すべての武器の輸出を禁じている。一方、高性能化する武器は多国間の共同開発(例:アメリカなどが共同開発するF35戦闘機)が主流で、制限を続ければ先端技術に乗り遅れるとの危機から、緩和を求める声もある。経団連は2009年7月、「わが国の防衛産業政策の確立に向けた提言」で武器輸出3原則の見直しを求めている。
 一例として、新明和工業(株)の製作になるUS-1、US-2、この威圧感のある巨大な飛行艇の原型は、あの大戦前から川西航空機で設計製作され海洋国日本の利を生かした「飛行艇」です。開戦翌年(昭和17年2月)に制式採用が決定したが、機材不足と戦況が悪化して制空権が奪われ、終戦まで60機程度の生産しか出来なかったが、終戦後の米指揮官が「飛行艇技術では日本が世界に勝利した」と言わしめた。現在は、様々な改良が施されていて、汎用の多様なユーティリティな構造を持っています。飛行場を持たない離島への旅客艇はもちろんのこと、水中からの給水を可能とした消防飛行艇、高高度を飛行可能なキャビンを持つ長距離飛行艇など、世界一の飛行艇として需要の拡大を待っています。
 このような、世界が刮目する埋もれている貴重な技術を、世界情勢・趨勢を読めずに日の当たる場所に出せない原則を、早く解禁して欲しいですね。あまり意味の無いように感じてしまう「宇宙開発機構」などの仮説に、国家予算を投資しないで……。
※新明和工業(株)http://www.shinmaywa.co.jp/
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 昨年末に、ふと思い立って図書館からスペイン語の会話を学習できる「スペイン語会話」CD本を借りてきました。正月休みが長いので(10日)その間に少しトライしてみようかなと考えたからです。しかし、本の返済期限が来てしまいました、しかもトレーニングした成果は、まったくゼロに近い結果で、これでは何も得ない事なので、図書館に延長申請をして、あと2週間延ばして頂きました。習慣として語感感覚を少しでも覚えようと、CDをエンドレス・リピートにして、ながら聴きをしています。比較にはなりませんが、400年前の天正遣欧少年使節の少年のように時間を掛けてトライをして行きたいと決めました。

 ⦅天正遣欧少年使節(1582~1590)⦆
キリシタン大名とイエズス会の命によって、伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノの4人の少年がヨーロッパに派遣され、スペイン・ポルトガル国王とローマ教皇に謁見するなど、当時ヨーロッパに大きな話題を振りまいた。彼らこそ初めてヨーロッパに渡った日本人であり、またヨーロッパに住む人たちにとっても初めて目にした日本人であった。
 ⦅使節団の目的⦆
「使節派遣の目的のひとつはキリスト教の栄光と偉大さを日本人に分からせること。そして少年たちに進んだ西洋世界を見せることで日本での布教活動をよりスムーズにさせるためである」としている。13、4歳の少年を選んだのは、「若い少年たちは好奇心が強く、より吸収が早い。何年にも及ぶであろう過酷な旅にも耐えられ、帰国後はより長く布教活動が続けられるだろう」という理由からである。