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 一年半振りに「紅葉坂」のてっぺんにある、神奈川県立音楽堂に行きました。そこで見た光景は、新しくリニューアルされた坂の歩道でした。過日にはまだ車道のみが整備されて歩道は狭く(1.2m)てすれ違うにも、どちらかの方が立ち止まらないと行けませんでした。
 その狭い歩道が、ご覧のように広々と整備されて、皆さんが伸び伸び?と歩いています。坂の斜面に広がっていた公務員住宅などが、そっくりまとめて地域整備がなされたようです。そして豪華に見えるマンションが立ち並び、その地域整備の一環として「紅葉坂」の歩道もプロムナードのように変わったのでしょう。これで、「紅葉坂」の頂上エリアも音楽・古典芸能・教育文化などの活動拠点として、さらに成熟が期待されます。「あの坂が大変」というキーワードが無くなりますからね。
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 坂を下りてくると、ランドマークタワーが見下ろしてきますが、何年か見慣れてはいるものの、大きな入れ物であるだけの象徴でしかありませんね。
by citystone | 2012-03-03 20:20 | memory
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やっぱり根岸森林公園のランドマークは「これ」です。
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ふりかえるとLandmarkTower が望見できます。
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梅園では、まだポチ……ですね。
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この公園の隣りは、市内米軍用施設です。
by citystone | 2012-02-13 19:48 | memory
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 あの時にMacに出会わなかったら、俗ですが、今の自分がなかったハズです。当時は、印刷・広告の業界には、大きな改革の波が押し寄せていました。業績の不振から廃業に追い込まれたり失業が大きな話題になっていました。デザインの方法論も完全にコンピュータに取って代わられてしまいました。私と同様にデザインを生業としていた方々は、新たに全く知識のないコンピュータの取り扱いをを0から習得しなければならない事態に陥りました。
 デザインをオペレーターという業種に委ねたり、また自分からコンピュータを購入する投資を強いられました。私はコンピュータの知識を取得する判断をして、知人の紹介で個人レッスンを受ける事に致しました。ほぼ3ヶ月間、週に3回指導を受け、Macを購入して再度デザインの世界にリスタートをしました。(初めて触れたMacの仕様は以下に掲載)
 Macintosh LCは、Macintoshの低価格路線の第一弾として、上位機種にあたるMacintosh IIシリーズの廉価版Macintosh IIsi、下位機種にあたる白黒モニタ一体型のMacintosh Classicとともに発表された。ピザボックスと呼ばれる薄型の特徴的な筐体を持っており,純正の12インチモニタと横幅がぴったり合うように設計されていた。16 MHz の68020を搭載しており、カラー対応のMacintoshとしては、当時最も廉価でコンパクトな機種。左側の写真。
 その初期のイライラから、徐々に自分の世界が可能になってくるまでは、試行錯誤というか演算速度が遅く、もちろん周辺機器の性能もマッチングするまでは、力づくでMacと押し比べ、待ち比べを繰り返して性能と知識が向上するのに、かなりの時間が掛かりました。現在のiMacは昨年末に購入をしましたが、まさに今昔の思いを示す圧倒的な速度と利便さを堪能させてくれます。
 スティーブ・ジョブス(元アップル社CEO)が、急死されました。数ヶ月前には新製品のデモに登場されていたのですが、その業績はもちろん、私自身の生き方に大きな影響を与えてくれた巨人の一人でした。改めてご冥福をお祈り申し上げます。
by citystone | 2011-10-06 22:08 | memory
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 ようやく日本の国会では、与党である民主党の代表が決まるらしいが、どうやら興味をもって対応しているのは、マスメディアの連中と政治家連中がさわいでいるだけらしい。
 戦後の日本の初代首相を務め、もっとも日本人らしい政治家として君臨していた吉田茂氏の息子、吉田健一(英文学者)さんの「日本に就いて」というエッセイを読んでいて、興味を覚えた短編を元にした小さな旅に出掛けてみようかと思っています。
 「或る田舎町の魅力」と題されたこの一編は、吉田健一が埼玉県の児玉という町に、講演を依頼されて出掛けた時の印象記であるが、この中に出てくる町の印象や建物の記述等から戦前の記憶(らしきもの)や塙保巳一記念館、金鑽神社などが次々と出てくると、これは秋になったら一度訪ねてみたい所だと、めずらしく思ってしまいました。
by citystone | 2011-08-28 14:16 | memory
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 国道1号線は、どの辺の道を指すのでしょうか。例年の箱根駅伝で選手たちが走る道がそのように思っていられる方々が多いのではないでしょうか。しかし、国道1号線は、日本橋を起点としているのは間違いではありませんが。実際は品川駅前から五反田方面に向かい、五反田からは昭和16年に開通した第二京浜国道に入ります。その先は横浜市の青木橋交差点から、青木橋を経て栄町交差点で、第一京浜国道と合流して国道1号線になります。従って、品川から八つ山橋を渡り第一京浜に入る国道は国道15号線になります。つまり、旧東海道をなぞって造られた国道1号線は、昭和16年に第二京浜へと変わっていたのです。(※第三京浜は昭和39年に開通した自動車専用道路。)
 この第二京浜国道は、昭和15年に開催される予定だった幻の東京オリンピックのマラソンコースとして作られたそうです。しかも、「響橋」(ひびきばし)がマラソンの折り返し点として計画されていたので、ランドマークとしての役割を持つような立派な橋にするように建設されました。(※戦後昭和39年に開催された東京オリンピックでは、甲州街道の府中市が折り返し点として使われ、優勝者はハダシのランナー、アベベ・ビキラさんが、3位には故人となられた円谷幸吉さんがメダルを獲得され、感動を呼びました。)
 当時、この橋のかかる場所は寺尾の山になっていて、ちょうど鶴見川と入江川の分水嶺になっている尾根を形成。この分水嶺の尾根に沿って、JR鶴見駅から綱島方面に通じる鶴見獅子ヶ谷線の道路が東西に走っていました。そこで、この尾根を掘って、巨大な切り通し道路を作ろうということになり。そして尾根に走っている道路には橋を造って通すことにしたようです。
 オリンピックは日中戦争の影響で昭和13年に中止と決まりましたが、既に建設が進んでいた道路の方は昭和16年に第2京浜国道として品川と青木橋の間に完成し、橋も同時に竣工しました。正式には「響橋」と呼ばれますが、近所の人はメガネに似ていることからメガネ橋と呼ぶとか。建設前は寺尾橋と称していたが「響橋」の名は、橋下を通行するとコンクリート製のアーチのスリットに音が反響することから名づけられたそうです。風の強い日などに、どんな音が聞こえるのか聴いて見たいですね。横浜市認定歴史的建造物と認定されており、神奈川県の代表的な橋100選にも選ばれています。

橋の仕様/構造形式・鉄筋コンクリート製アーチ橋 アーチ高・約13メートル 橋長・48メートル 設計者・今井兼次、内務省横浜土木出張所新京浜国道事務所 施工者・不明 竣工・1941年(昭和16年)
by citystone | 2011-08-18 08:55 | memory
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 多分半世紀くらいの昔には、商業という冠の付いた名称が数多く存在しました。高度成長期の時代だったからでしょうか。私の関係した業界では、商業写真とか商業デザインとか呼ばれていました。今で言うとコマーシャルフォトとかグラフィックデザインになります。
 写真の画像は、当然ながらフィルムベースで、しかも6X6、6X9、4′X5′が主流で35mmなどは、写真家が持っているカメラのように思われていました。例えば木村伊兵衛さんに代表されるライカ(ドイツ製)などですが、現代でも復刻版としてデジタル化されマニア垂涎のアイテムとなっています。
 当時の私は日記をつけるようなマメな性格ではなく、最近になってからブログを作る(書くというよりは絵日記風)習慣が身に付きました。写真は、ほとんどが携帯に付属しているカメラ機能に頼っています。高解像度で手ぶれ防止機能など、いろいろな機能を備えているので、ポケットにいつも入れてお出掛けしています。
by citystone | 2011-08-03 14:09 | memory
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 当時(30年前)は、浅草にある某企業に勤めていました。今は浅草の場所は分かるけれど、何かきっかけでもなければ行けないほどに、遠い場所になってしまいました。
 それが、ふとしたきっかけでお会いした方が、ミニカーの収集をされていると聴いて、昔の想い出の品を取り出して来ました。当時、浅草・上野間を走る2階建てコミユニティバスが台東区の企画で発足しました。その際には、諸々の記念品などが発売されて、私自身も少し関わりを持たされていました。ミニカー(バス)を発売することになったので、その企画に参加しミニカーのメーカーと試作段階から会議に加わっていました。
 その試作段階のモールド(鋳型模型)をなぜか私は大事に持っていたのです。私は設計などはとても出来ませんが、バスという乗り物には、妙に興味があります。今は免許証も返納してしまい、運転も出来ないので、お出かけはバスを利用する場合が多いです。夏休みにでも、神奈中バスが運行している連節バス(ツインライナー)を乗りに行こうと思っています。
by citystone | 2011-07-17 10:38 | memory
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 東横線の地下駅への移設に伴い、反町駅は地下4階になっています。従って以前の高島山トンネルは6年間閉鎖されていましたが、このトンネルの歩道開通により横浜駅から東白楽駅までが、お散歩コースになりました。名称は「東横フラワー緑道」です。元の東横線の軌道に沿って作られているので、道幅も広くフラットで快適な舗装とあいまって、ご家族連れ、ご高齢の車椅子や、犬の散歩などのコースには最適だと思います。
 先週の土曜日(16日)に開通式があったようですが、トンネルの歩行可能な時間は、午前6:00〜午後9:30の昼間の時間帯です。お近くの方は一度歩いてみては如何ですか。
by citystone | 2011-04-24 15:18 | memory
 昭和36年に新入社員なってからから、2〜3年たった頃に札幌に出張を命じられた。当時は、上野駅から夜行列車で青森まで、そこから青函連絡船を乗り継いで函館に到着、さらに函館本線の蒸気機関車(C62)で札幌まで、札幌到着は夜になっていました。
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 青森までは、当時も電化されていたので電気機関車(EF58)でしたが、函館からはSL(C62)に引かれての各駅停車だったように記憶しています。最近になって当時の国鉄の様子を調べると、当時のキャリアが思い出されて、今となっては懐かしくもあり楽しい思い出です。

※かつては長万部(おしゃまんべ)駅 - 小樽駅 - 札幌駅間の函館本線(山線)にも多くの優等列車が往来し、昭和40年代まではC62形蒸気機関車の重連による牽引の急行列車など蒸気機関車が集結。ただ小樽駅までが単線な上、急勾配・急曲線が連続する速度向上に不利な線形を抱えていた。
対して、室蘭本線(海線)経由は若干遠回りであるがもともと線形も良く所要時分も短縮できるうえに、比較的沿線人口も増加した事もあり。特急列車の登場以来、徐々に函館駅 - 札幌駅間のメインルートとしての役割は室蘭本線(海線)へ移り、かくして1986年11月に特急列車が函館本線(山線)から全廃されました。
by citystone | 2011-02-12 11:47 | memory